「サラリーマン議員」はいらない
先日、ある有権者の方から「もうサラリーマンみたいな議員はいらんのよ。わしらは就職活動のためにいてるんやないんや。」というお声をいただきました。
確かにその通りだと思います。議員はサラリーマンではありませんし、またそうであってはならないと思います。そもそも政治とは、「政(まつりごと)」であり、神に感謝し、神に祈り、神事を滞りなく執り行うことであったと理解しています。それが転じて民に尽くし、不利益がないよう調整するのが政治という仕事だと考えています。
私のように本業を持たず、政治を生業にしようとする者はサラリーマンのように見られるでしょう。しかし、政治の現場にいて、何かと兼ねて政治をするというのは到底無理なことです。決して片手間の仕事ではありません。何もかもこれに注ぎ込むんだという覚悟がなければできない仕事でありますし、してはならない仕事だと思っています。
マックス・ウェーバーは『職業としての政治』の中で、政治家に必要な資質は情熱・責任感・判断力であると言っています。政治家は常に情熱・責任感・判断力が試される仕事の一つです。中途半端な気持ちではできないことは明らかです。
実は以前、他県で地方議員への出馬要請をいただいたことがあります。しかし、きっぱりとお断りしました。なぜなら、私が育った和歌山でこそ仕事をやろうという情熱が湧くのであり、昔から自分のことを知っている人がたくさんいて、応援してくださる方がいるからこそ、その責任感を維持し、この街のことを知っているからこそ判断が下せると自分は思っています。だからといって、落下傘でがんばってらっしゃる方の情熱・責任感・判断力や資質がないと言っているのではありません。あくまでも自分の話です。
サラリーマンになろうとは思っていませんが、そうならないよう、しっかり心に焼き付けたいと思います。
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