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2011年12月31日
平成23年の締め括りとして

 早いもので、平成23年もその幕を閉じようとしています。今年は本当に色々なことがあった年でした。
 言うまでもなく、3月11日の東日本大震災。多くの尊い命を失いました。福島原発の事故発生に伴い、広範囲に放射性物質が拡散し、今なお多くの方々が故郷を離れなければならなくなりました。
 当時の菅内閣による事故処理の不手際にも、多くの批判が寄せられました。事故処理の不手際もさることながら、そもそも我々日本人が、なぜ原発を設置しなければならなかったのか、その根本的な点から検証を始める時期が来ているように思います。
 菅内閣の後を受けた野田内閣の誕生。そして、9月初めの台風12号の被害。紀伊半島を中心に甚大な被害をもたらしました。政府はすぐさま災害対策本部を設置し、対応に当たりました。過去の事例では、災害発生後数ヶ月かかっていた激甚災害指定も、2週間ほどで行われ、迅速な復旧活動が実施されました。これには県知事も「120%の対応をしてくれた」とのコメントを出されました。
 地震、台風と自然の力をまざまざと見せ付けられた、そんな1年であったように思います。私達は今、文明社会の中で生きていますが、人間が万能だと思い上がる姿を見て、警告を発しているのではないかとさえ思えます。
 私事では、4月の統一地方選挙で2回目の当選を果たさせていただきました。引き続き、和歌山市議会では最年少議員として活動させていただきます。
 1期目は5人ないしは6人の会派でしたが、2期目は私を含めて2人の最小会派となりました。年数の関係から、私が会派の幹事長をさせていただいています。様々なことで、ベテランの先輩方と渡り合わなければなりません。まともに交渉できるのか、不安を感じつつも、今のところは何とかなっています。
 民主党の一員としては、大変厳しいお言葉を頂き続けました。菅内閣のときは本当にピークで、後半は批判よりも諦めや嘆きに近いお言葉を頂くことが多かったように思います。
 やっている張本人や国会議員は東京にいて、あまり直接声を聞く機会は少なかったのでしょうが、地方にいる我々は一種出先機関のような形でモロに受けることになりました。民主党という錦の旗を掲げている以上仕方ないと思いながらも、やった張本人じゃないのにそこまで言われなければならないのかと、不条理さも感じましたが、飲み込みました。
 ツイッターにも「民主党で恥ずかしくありませんか。」というメッセージが届いたりもしました。「前途有望な若いあなたがなぜ民主党に?」なんていうのもありました。頼りなかったり、不甲斐なかったり、約束を守らなかったり、そんな党に所属している。確かに違和感があるのかもしれません。
 自分の支援者から「民主党を辞めないなら応援せん」と言われたりしました。実際は応援してくれましたが。先日もある支援者が「もう民主党辞めたから。党員も継続しないから」と言われました。残念ながら「ちょっと待って下さい」とは言えませんでした。「一緒に辞めたら?」と誘われましたが、「それはできません」とお答えしました。
 私は1999年9月に、当時の岩國哲人代議士の下に置いていただいた時から民主党の一員です。苦しいしんどい時期は何度もありました。しかしそれでも辞めることなく、今日までいます。なぜならそれは、民主党は必ず良くなると思っているからであり、そのための一端を担いたいという思いがあるからです。見捨てるのは簡単ですが、最後まで見捨てないというしんどさを率先して引き受けているところはあります。
 先日も国会議員が数名離党しました。なんでこの時期なのか、想像はつきますが、しかし、特に比例区で選ばれた議員が党の名前で当選しておきながら、党を辞めるというのはどういうことなのか、納得がいきません。制度が悪いと言えばそれまでですが、保身に走ったと見られても仕方ないでしょう。
 どうして中に残って、中から変えようとしないのか。変えるための努力をどれだけしたのか、見えてきませんし、伝わるものがありません。
 当初掲げたように「当たり前のことが当たり前に行われる」政治を実現したい、その思いが一層強くなっている今日この頃です。
 年の終わりに愚痴っぽくなりましたが、自分の胸の内を少しでも分かっていただければと思い、書かせていただきました。

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