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2011年09月30日
餞(はなむけ)の言葉

 「春は出会いと別れの季節」などと言われます。3月から4月にかけて、卒業・入学、就職・転職・異動など人の動きが激しくなります。
 彼岸を過ぎる今頃は、春からちょうど半年。これまた人が動く時期になります。
 我が民主クラブの事務を受け持ってくれていた女性が本日付で退職しました。ご主人が転勤されるとのことで、誰もが致し方のないことです。
 私が議員になってから、何人もの方が民主クラブ所属議員のお世話をしてくれました。結婚を機に退職した方、新天地へ向けて巣立った方など、それぞれの事情でそれぞれの道を歩まれます。私が会派の幹事長をさせていただいてから、初めて来てくれた人で、初めて見送る人となりました。
 細かなところにまで気を配ってくれ、主婦ならではの目配りは、男二人の会派にとって、大変助かりました。
 新しい土地でも活躍されることを期待し、感謝を込めて、餞の言葉としたいと思います。

 さて、今日で9月議会が閉会しました。今議会は山場がいくつもあり、しんどい日々でした。特に議案第13号「土地賃貸借契約締結等請求調停事件の和解について」の取り扱いで、苦しい場面がありました。また、そこから派生して、違うことにまで飛び火し、心を削ぐような思いをしました。
 そもそも議案第13号とはどんな内容かということですが、一部新聞紙上にも出ていますが、住宅開発団地の中にある公園の土地が、市当局の怠慢で昭和49年から登記変更がされないままになっていました。昨年になって元の登記名義人から土地を譲り受けたという人物から、公園となっている土地の返還を求められ、問題が表面化したものです。
 市当局は公園を維持しつつ登記上の権利を得るために、申立人に対して530万円余りの金銭でもって買い取り、解決しようとしました。しかし、本来は法律の定めにより、公園として整備し、開発工事の完了を公告した時点で和歌山市のものになっているのです。それを登記していなかったということだけをもって、市当局も相手方の土地と認識して、金銭で買取することは、認められないことです。
 市当局が行うべき行動は、調停で買い取るのではなく、その土地は元々和歌山市のものだ!勝手に自分のものにするな!と訴えを起こすべきなのです。
 住民の「公園が使えなくなっては困る」という思いは理解できます。しかし、日本は法治国家である以上、今回の問題は感情論ではなく、法秩序や法理論で対応処理しなければならないものなのです。でなければ、この国は何でもありになってしまいます。日本は隣の国とは違うのです。
 採決は議長を除く37人で行われ、36対1の圧倒的多数で議案は否決されました。私も否決した一人です。
 今回は一つの案件でしたが、和歌山市の公園となっている土地には、同様の例が200件ほどあるようです。また公園にとどまらず、道路にもあるそうです。ただ登記上名義が変わっていなくても、現に公園や道路で使われている土地は、それ以外に使用できないため、明け渡しを求めたり、買取を求めたりすることは強制収用の場合などを除き、原則できません。また固定資産税などの税金が免除されているはずで、その時点で公園や道路として使用することを追認していることになります。
 今回のことが報道で取り上げられ、他都市においても、同様のことが起こって、行政の職務執行が滞らないよう、願うばかりです。

 
2011年09月19日
健やかに、お元気で

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 今日は敬老の日。
 テレビ番組で知ったのですが、もともと敬老の日は、兵庫県野間谷村の村長さんが昭和22年に「としよりの日」として始まり、それが兵庫県全体、そして日本全国に広がり、昭和40年に国民の祝日「敬老の日」となったそうです。
 今年も地区の敬老会へお招きいただき、一緒にお昼を呼ばれました。ありがとうございました。

 
2011年09月18日
山津波の町へ

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 台風12号の襲来から2週間が経ちました。被災地では未だ復旧活動が続いています。今日、ようやく現地入りし、状況を見、復旧活動のお手伝いをしてきました。
 今回、現地入りするまでには紆余曲折がありました。和歌山青年会議所のメンバーとして参加させていただいたのですが、雨の予報が出ていたために、前日の午前、派遣中止の決定がされました。しかし一転、天気が回復し晴れの予報になり、田辺市本宮の災害ボランティアセンターがボランティアの受け入れを決めたため、行ける者だけで行こうということになり、19時半から準備が始まりました。

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 5時半少し前に和歌山市を出発、海南インターから有田インターまで高速に乗り、金屋、龍神、中辺路を経て、本宮に入りました。
 その途中、日高川沿いでも目を覆いたくなるような悲惨な状況を目の当たりにしました。ブルーシートをかけた民家や工場、建物の足元の土砂を流され傾いた建屋、流木や土砂に埋め尽くされた川岸、山積みされた大量の瓦礫や使えなくなった家財道具など。
 瓦礫の山から出火したという話も報道されていたので、気にかかるところです。
 道も土砂崩れなどで片側交互通行になっているところが何箇所もありました。簡易の信号が付けられており、一定の時間で交互通行できるようにされていました。直後にはアスファルトが盛り上がって、路面の白線が立体になっていた、という話も伺いました。

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 美山にある椿山ダムに着いたとき、ダムに漂着した流木の量に圧倒され、流木がひっかかっている位置にも驚かされました。ダム湖は一面、流木で覆われていました。よく見ると、流木の中に船が混じっているのも確認できました。大量の雨水が、まさにダムを超えんとしていたことが想像できます。
 途中で白浜・田辺青年会議所のメンバーと合流し、9時頃には本宮行政局近くの公民館に到着。準備して、ボランティアセンターで登録を行いました。連休ということもあるのか、たくさんの方々が来ていました。登録が終わると現場へ移動します。

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 現場は熊野本宮大社の大斎原(おおゆのはら)です。大斎原に堆積した土砂の撤去が今日の仕事です。大斎原へ向かう道の両側には田んぼがあり、黄金色の穂がたわわに実っていました。不思議なことに、同じ場所なのに、田んぼによって稲穂が立っているところと倒れているところがありました。用水路は土砂で埋まっていました。
 大斎原で集まると、作業の説明がありました。また熊野本宮大社の宮司さんからお話がありました。お話の中に「山津波」という言葉がありました。土石流とか言いますが、状況はまさに津波に襲われた後と同じで、東北の被災地の光景を重ねて見ました。
 ボランティアの中に、福井県から来て下さったチームがいらっしゃいました。少しお話しすると、今日15人で来られて、明日までの1泊2日で活動して下さるそうです。全部で3班が入れ替わりで来て下さるとのことでした。
 福井といえば、平成16年夏に福井も水害に見舞われました。私は当時秘書をしていて、党から1週間福井に派遣され、復旧のお手伝いをしました。一乗谷朝倉氏遺跡で土砂さらいの毎日でした。
 引率されていた福井県の職員さんにそのことをお話しすると、「やっぱりお互い様ですね」とおっしゃって下さいました。本当にありがたいことです。

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 9時半過ぎから15時前まで、途中昼休憩を挟みながら、ひたすら泥さらいをしました。百数十人で行ったので、予想以上に捗り、少し早く終わることになりました。
 写真では少し分かりにくいかもしれませんが、手前が泥かきを終えた元の地面、奥が泥かき前です。厚みがあるのですが、その分だけ山からの土砂が堆積したのです。それも一部分だけでなく、大斎原や周辺の田んぼにも同じだけの土砂が押し寄せているのです。
 それらを人力でひたすら取り除きます。大斎原の縁に一段低くなっているところがあり、そこに手押し一輪車で泥を運びます。泥が溜まってくると、縁と泥の境が分からなくなり、つい泥の中に左足を突っ込んで身動きが取れなくなってしまい、助け出してもらいました。まさに「泥沼にはまる」を体験しました。

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 大斎原の近くには世界遺産熊野本宮館という紀州杉を使った観光施設があるのですが、その建物は水で襲われ、基礎の下の土が持っていかれたために傾き、あるところは沈んでいるように見え、あるところは浮いているように見える状態になっていました。職員の方に聞くと、このまま手を入れて使い続けられるかどうかも分からないと話され、疲れた表情をされていました。
 長靴や道具についた泥を落とした後、白浜・田辺JCのメンバーに、本宮から熊野川沿いを新宮に向かって国道168号を行ける所まで案内してもらいました。

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 電源開発の発電所の看板は一部がなくなっていました。元々なかったのか、土砂で流されてしまったのかは分かりません。
 紀伊半島名勝の一つである瀞峡を楽しむためのウォータージェット船の発着場になっている志古乗船場は土石流の被害を受け、その機能を失っていました。ぱっと見ただけで20人ぐらいのボランティアらしき人が掃除のお手伝いをされていましたが、再び使用できるのか、分かりません。観光の拠点が失われると、その後の地域経済の再生に大きな支障となることは、容易に想像がつきます。

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 続いて、道の駅「瀞峡街道熊野川」へ向かいました。残念ながら、写真の通り、原形がどうであったのか、全く想像できない状態になっていました。丈夫であるはずの道路標示用看板さえ、なぎ倒されていました。ここから先、倒木のため通行止めになっており、新宮へ進むことはできませんでした。
 道の駅の向かいにあった民家は、地震でなったのか、津波でなったのか、山津波でなったのか、判別がつかない状態でした。
 本宮へ戻る道の途中には、船が電柱に引っかかっている状態で残っていました。

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 最後に熊野川行政局近くに架かる三和大橋を見に行きました。この橋は、洪水で浸水しないように、わざわざ高いところに作られた橋です。見えにくいかもしれませんが、橋の橋脚にスケールが貼られてあり、下から黄色のシールが1つと、赤のシールが2つ貼られてます。黄色のシールは「注意」と書かれており、川底から5.6mの高さにあります。一つ上の赤のシールは「避難」と書かれていて、避難開始の指標となる水位で、川底から8mの位置にあります。一番上の赤のシールは「危険」と書かれていて、川底から10.6mの位置です。文字通り、ここまで来ると危険です。
 しかし、橋の欄干を見ると流木が引っかかっています。橋の裏側にもたくさん引っかかっていました。目測で、橋脚の「危険」の位置から2倍以上の高さはあると思われます。その位置まで水が来ていたことになります。
 今、自分が立っている場所も水没して、まだなお高さがある。一体どれだけの水がここを流れていったのか、想像はできましたが、とても実感できず、分かったような分からない感覚に襲われました。ありきたりな言葉しか見つかりませんが、想像を絶する状況の痕跡です。
 今回、実際現場へ行かせていただいて、報道だけでは分からない状況を知ることができました。写真と文章でできるだけ伝わるように書いたつもりですが、しかし実際に行って見ていただくのが、一番理解していただけると思います。ぜひ1回でいいので、現地へ行って復旧活動に参加して、帰りに現状を見て来て下さい。
 いくつかの課題も見つけました。これは別稿で書きたいと思います。

 
2011年09月15日
2011年9月議会の一般質問全文

 今日の質問の議事録を記します。なお、これは原稿ベースで、速報版です。実際の議事録は若干異なることをお含み置きください。正規は後に発行される議事録に拠ります。

《質問》

 民主クラブの山本忠相です。
 まずは、先日の平成23年台風12号による水害で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々に対しお見舞い申し上げます。民主党の一員として、政府に対し、一日も早い激甚災害指定の決定をしていただけるよう求めていく所存です。
 さて、今回は市有財産の管理について質問させていただきます。
 去る6月議会において、旧第1清掃工場の解体撤去工事にかかる補正予算約6500万円について審議され、私も賛成し、本議会で可決されました。この予算について、今更異論を挟むつもりはありません。
 しかし、昭和60年の稼動停止から先の議会における補正予算提出までの経緯や状況については検証する必要があると考えます。
 昭和46年から稼動を開始した旧第1清掃工場は昭和60年に稼動停止し、13年後の平成9年に旧厚生省の財産処分承認を受け、平成11年度には煙突の撤去工事を行いました。
 その間、平成9年8月には旧厚生省が大阪府豊能郡にある豊能郡美化センターの周辺土壌を調査、同年11月には高濃度のダイオキシン類を検出、翌10年9月には豊能郡美化センターのダイオキシン汚染を発表しました。平成11年度中にダイオキシン類対策特別措置法が施行される中、平成12年7月豊能郡美化センターの解体工事に従事していた作業員の血中から高濃度ダイオキシン類が検出されたとの報道を受け、ダイオキシン類に対する厳しい規制が敷かれ、平成13年には廃棄物焼却施設解体作業マニュアルが出されるに至ります。
 これを受けて、平成15年に第1清掃工場解体に向けたダイオキシン類の調査を行い、16年事前調査に基づく解体実施の設計、17年に工事の計画を行ったが、同時期平成10年に稼動休止した第2清掃工場の煙突が倒壊する可能性があるとのことで、その解体工事を先に行い、第1清掃工場に係る解体工事を延期しました。
 また同時期、本市の財政が悪化、第1清掃工場解体工事は先送りされてきました。平成22年度国の当初予算で循環型社会形成促進交付金を利用した第1清掃工場跡地利用を含めた計画を立てるも、国の予算措置が見送られたために再び延期。
 その間にも、県から施設を撤去するよう再三再四指導され、平成21年の県市連絡協議会においては、撤去が正式に申し入れという形で言われました。
 平成22年6月外装鉄板部の剥離が市民からの通報で認められ、職員さんが応急手当を行い、解体に向けた予算が組まれることになった。しかし、改めて設計を行ったら、老朽化があまりに進んでいて、ダイオキシン類の洗浄に使う高圧水流に建物が耐えられないから、補強してから解体するという、皮肉で無駄な状況になった、ということで、今日に至っています。
 先の6月議会厚生委員会での質疑でも、法律との絡み、技術的な課題などが出ましたが、何より予算の問題が大きいと感じました。
 次に、先の委員会審査でも出てきた鍵となる言葉は「ほったらかし」だと思います。用途廃止になったとは言え、元は市の施設、市民の財産であります。市民から信託されながら、管理はすれど活用はせず、というならば市の責務に対する意識が非常に希薄と言わざるを得ないと考えます。ひょっとしたら、他にもあるのではないかと思い、調査しました。
 例えば、加太地区会館大川分館の建物。昭和23年に加太小学校大川分校の校舎として建設されましたが、児童数の減少により昭和39年休校となり、以降校舎は地区会館として地域で使われるようになりました。しかし昭和53年、隣地に新しい建物ができてから使われることがなくなり、昭和63年、同校の廃校とともに建物の所管が市教委から自治振興課へ異動。そのまま現在に至っています。
旧第1清掃工場や加太地区会館旧大川分館のような物件を「負の遺産」と呼んだりします。
 保健所横の旧城南病院跡地。建物の大部分は交通安全対策課に貸し出され、放置自転車の保管場所として利用され、いくつかの部屋は介護保険課などの書類保管庫や災害発生時などに必要な備品の備蓄庫として使われていました。中には病院だったときの消毒室などに器械器具が収められたままの部屋もありました。
 このような財産の維持管理について、どのようにお考えですか。お答え下さい。

《松見副市長 答弁》

 議員ご指摘の加太地区会館大川分館内にある旧大川分校については、建物が非常に老朽化しているため跡地利用を含め検討しています。旧城南病院につきましては現在放置自転車の一次保管場所や災害用備蓄晶の保管場所として活用しています。その他の老朽化した施設につきましても、まず必要性の観点から検討し、必要性の高い施設については更新や修繕による延命化対策を講じるとともに、必要性が低いと考えられる施設については他の施設への転用や用途廃止後、売却も含めた跡地の有効利用などを図ってまいります。

《再質問》

 お答えをいただきましたので、第2問に入らせていただきます。
 老朽化した施設については、必要性の観点から分別して、必要なものは使い続ける、必要性の低いものは次の手立てを考えるというご答弁でした。
 おっしゃるようにできていれば、私が質問する必要もないのですが。議事録を見ると、未利用地や遊休地の話は、議会において過去何度も取り上げられています。
 旧第1清掃工場についても、色々と手立てを考え、タイミングを計り、予算の都合をつけようとしていたことは理解しています。現在の担当課が積極的に、今このときに過去の負の遺産を後始末しようと動かれていることには敬意を表します。しかし、それでもなお、これまでがほったらかしていなかったと言い切れる状態ではないですし、ほったらかしていたことは委員会での審査席上、当局自身が認められたことです。
 また今回、奇しくも議案第13号にある中筋日延児童遊園の問題も、本来市当局が行っておくべき手続きをほったらかしておいたために発生した事案であり、後世に無駄な負担をつけ回しする重大な過失があると考えます。
 先程例に挙げました、旧大川分校の校舎は新しい会館の隣にあります。当局は旧校舎が地震に襲われたとき、倒壊の可能性があると想定していらっしゃるようですが、想定外のことが起こるということは、3月11日東日本大震災で被災地の現状からご理解いただいているはずです。場合によっては、隣に倒れこんで現会館をつぶし、とりあえず雨風をしのぐ避難所としての機能を失わせ、その瓦礫が避難を妨げ、2次災害を招きうるということも考えなくてはなりません。
 旧城南病院の建物は耐震補強がなされていません。おそらくそこまで手を掛ける建物ではないということなのでしょう。それが地震で倒壊し、隣の民家に倒れたら、家はひとたまりもありません。それで人命が失われたら、どんな言葉を発せられるでしょう。
 これまでいくつかの具体例を挙げてきましたが、これら管理行き届いていない形態をその性質から4つの体系に分類してみました。

①持て余し型・・・現在あるものを次の方向性が決めきれず、持て余しているもの。
 これに当てはまると思われるのが旧発明館で、旧発明館は平成21年3月に閉館し、土地建物を売却すべく一般競争入札を行いましたが、不調に終わっています。まだ次の方向性が決まっていません。休止中の本町駐車場もこれになると思います。
②事情型・・・様々な他の事情が絡んでくるもの。
 これには、現在放置自転車の保管場所に使っている旧城南病院の建物、また水道局が所管している西脇配水池跡地は、両隣の土地所有者との関係があり、また2件の受水槽跡は隣地所有者との関係から、そのままにしておかなくてはならない状態です。
③放置型・・・これは役目を果たしていないのに放置されているもの。
 これには加太地区会館旧大川分館があたると思います。旧第1清掃工場はこれと事情型の半々といった形だと思います。
④怠慢型・・・これは当局の怠慢により、現状に至っているもの。
 建物では見受けられなかったのですが、中筋日延児童遊園の権利についてはこれに当てはまると思います。

 こうして現状分析をした上で、2つの問題点があると思います。
 1つ目は、市当局内に各部局で管理しているものも含めた市有財産を完全に把握している部署がないということです。だから長期間ほったらかしになっていたり、権利の書き換えがなされていなかったりということが起こるのではないでしょうか。
 また、今あるものを有効に活用する上でも、このような機能が必要ではないでしょうか。例えば、旧発明館ですが、売って現金化するのもいいのですが、市役所に程近い一等地で、同様の土地を付近で探すのは至難の業です。そんな時、一括把握している部署があれば、産業部局内で持て余していても、他の部署での需要が見込め、活用も可能ではないかと考えます。
 もう一つの問題点は、作るときとつぶすときの財政措置の差です。公共施設を新たに作るときは、起債もでき、場合によっては補助が行われます。しかし解体撤去となると、起債も認められず、国による補助もありません。実はこのことは、東日本大震災の被災地も同じで、制度的な不備により街づくりの線引きさえできないとの問題点が浮かび上がっています。そんな実情を踏まえれば、新たな公共施設を建設する際には、30年、50年先をも見越して、その建物が役目を終えるときにおいても、自ら手立てしなければならないことも含めて進めなければならないと考えます。
 以上、2点の問題点について、市長のご見解をお伺いします。

《大橋市長 答弁》

 まず、1点目につきまして、中心市街地にある老朽化した施設の存廃及び処分について部局を跨いだメンバーで構成したプロジェクトチームを立ち上げ検討を行いました。今年度も庁内関係部局での協議を再開させているところです。今後も施設ごとにこのような取り組みを続け、市有財産のより適正な管理と有効活用を図ってまいります。
 次に2点目ですが、東海・東南海・南海地震などの災害に備え、特に防災上の観点から緊急性が認めら一れる施設の解体や除却については、私も重要なことであると認識しています。このような解体などを促進するためには制度がより手厚いものであるべきだと考えますので、財政支援などの拡充について引き続き国へ要望してまいります。

《再々質問》

 ご答弁をいただきました。
 中心市街地の施設について検討するプロジェクトを立ち上げたのが一昨年のことだそうです。なぜそのときに全市全庁に広げて行わなかったのか。その点が非常に残念です。
 市の財産には行政財産・普通財産の区分けがありますが、これらの区別なく、また担当の各部署で持っているとか、管財課で持っているとかの、主管の部署に関係なく、市の財産を一括して把握する部署を置くことが急務であると考えます。
 同じ轍を二度と踏むまいという強い意志をもって、「関係部局での協議」といったものにとどまらず、手札を把握し活かすという役割を置いていただくことを求めます。
 また、国に対して財政支援を要望していくとのご答弁でしたが、先程も申し上げた通り、先を見越した上で、自分で何とかするという気構えが必要になってくるのではないかと思います。
 以上、色々と申し上げましたが、改善していただけることに期待をして、質問を終わります

 
2011年09月12日
吉宗くんをよろしく!

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 今日、和歌山市の観光キャラクターである吉宗くんの着ぐるみがお披露目されました。これまでは観光ガイドブックやポスターでしか見ることのできなかった吉宗くんですが、これからは動く吉宗くんがご覧になっていただけます。
 これから秋が深まるにつれて、観光シーズン、イベントラッシュになります。あちこちでお目にかかると思いますので、仲良くしてあげて下さい。

 市議会は、明日から一般質問が行われます。一般質問は5日間の予定で、前3日が4人ずつ、後ろ2日は3人ずつで、18人が登壇予定です。私は3日目15日の3番目に質問を行います。今回は市有財産の管理について質します。
 8月30日に質問の要旨を当局に伝えていたのですが、まだ思ったほどの進展がなく、間に合うのかなぁと心配です。

 
2011年09月05日
台風の被害は甚大

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 まずは、今回の台風12号によって亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げるとともに、被災された皆様にお見舞いを申し上げます。
 民主党和歌山県総支部連合会は昨日4日、県連内に「台風12号災害対策本部」を設置して、対応に当たっています。私も事務局次長として、主に県外から提供の申し出があった救援物資やボランティア派遣の取りまとめ、政府・党本部との連絡調整を行っております。
 未だ被害の全容は明らかになっていませんが、関係機関総出で被害状況の確認と人命救助、2次災害の防止に努めてまいります。
 写真は今朝、上空から和歌山市の紀ノ川河口付近を撮影したものです。茶色に濁った水が海へと注いでいるのが分かります。紀ノ川は大きく、容量があったために被害は出ませんでしたが、紀南地域では川が小さい上、相当な量の雨が降ったため、今回の水害となりました。残念ですが、これは山間地の宿命と言う他ありません。
 明日は平野防災担当大臣が被災地の視察に来られます。現状を見ていただいて、一日も早く激甚災害指定をしていただきたいと思います。

 
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