愛走フレンズ
まったく更新ができておらず、申し訳ありません。
トルコへ行ってきたことも書きたいのですが、なかなかままならず、です。
先程、福祉関係の部署に用事があり、その部署でお話ししている間に、終業時刻の17時15分を過ぎていました。議会の自室へ戻ろうと廊下を歩いていると、その途中に人権同和推進課という部署があります。そこで男性の職員さんが立って、課のみんなに聞こえるような声で何かをお話しています。私は、申し伝えか何かかなと思って、そのまま部屋に戻りかけたのですが、気になって踵を返しました。
聞いていると、『それがにんげん』という詩を読み、人が一人の人として生活していくこと、日常業務の中で職員さんが率先してお手伝いすることなどがお話しされました。
次はなんだろうと思っていると、その言葉に気を取られてしました。「愛走フレンズ」という言葉です。まずはそれが何かをお話しします。
島根県出雲市では毎年建国記念日の2月11日に「くにびきマラソン」を開催しています。
ある年、市長室に1本の電話がありました。電話の主はくにびきマラソンに出たいとおっしゃいました。市長は歓迎の意を伝えられたのですが、相手からの次の言葉で絶句します。
「私は、まったく目が見えないのです。」
市長は「伴走者を探すので、安心して参加してください」と、答えました。があてはありません。担当課長を呼んで事の次第を話し、職員から伴走ができるものを探すよう言いました。全行程の10キロを走るだけでも大変なのに、盲目の方の伴走をするなんて、できるのだろうか。
翌朝、担当課長から5人見つかったとの報告が市長にもたらされました。
市長「みんな10キロ走れるのか?」
課長「誰も10キロは走れません。」
市長「走れないのが5人もいてどうするんだ!」
そして課長はこう答えました。「みんな10キロは走れないので、一人2キロずつ走ります。5人が力を合わせたら10キロ走れますから、ぜひやらせてください。」
そして、その日から5人は練習を開始します。凍てつくような寒い日に、仕事を終えてからの練習です。一人が目隠しをし、一人がロープの片方を持って「坂です」「右に曲がります」と誘導しながら走る練習です。
2月11日、マラソン大会の日。盲目の方と一緒に5人の職員が交代で伴走しました。そして見事にゴールイン。くにびきマラソンで盲目のランナーが誕生した瞬間でした。
翌年は8人の参加応募があり、48人の職員と20人の市民が伴走を申し出ました。そしてこの時からこのグループに「愛走フレンズ」という名前がつけられ、毎年ランナーが増えているそうです。
この時の市長というのが、私が秘書として就かせていただいていた岩國哲人先生のことです。この話も直接岩國先生から何度も聞かせていただきました。
まさか今日、久しぶりにその話を聞くとは思いませんでしたし、戻ろうと思わせたのは何かあるのかなぁと思ってしまいました。
お話が終わった後、本市の職員さんから今日のレジュメをいただきました。「発想の転換 愛走フレンズ」と書かれた後にこう続いています。
◇思い込みをやめる
◇みんながいきる方法
◇障がいがあるのは不便ではあるが、不幸ではない。
◇あたりまえのこと
岩國市長も、一人が10キロ走らなければならないという思い込みがあったそうです。しかし、盲目の方に何としても走ってもらいたいという職員さんの情熱が、状況を大きく変えました。まさに、発想の転換です。
久しぶりに思い返してみて、思い込みをやめ、当たり前のことを当たり前にし、みんながいきる方法を提案できる仕事をしようと、改めて思いました。
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