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2006年10月16日

プロフィール

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2歳の秋、家族で母の実家がある和歌山市に移り、祖父母と一緒に暮らし始めました。幼稚園卒業までは近所で有名な「やんちゃさん」でした。

成績はお世辞には良かったとは言えませんが、学級委員や児童会の副会長をしていました。6年の修学旅行の一コマ。いつも輪の真ん中にいた気がします。

やっぱり学級代表や風紀委員をやっていました。この頃から環境問題に関心を持ち始めました。地球環境ジュニア国際会議で討論の場面。このために親に頼んで東京まで行かせてもらいました。

在学中は文化祭の企画運営などに携わりました。目立つ存在ではありませんでしたが、でも体育祭の組体操では一番前にいます。

岩國事務所では仕事のイロハから政策立案まで、幅広くありとあらゆることを学ばせていただき、政治に携わるものとして核となる物を与えていただきました。
岸本事務所勤務時代には、和歌山へ戻ってくるきっかけと、今日の活動への足掛かりをいただきました。

 

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幼い頃からお墓参りにはよく行きます。祖父母と一緒に暮らしていたからでしょうか。生まれてきたことと今日の健康に感謝し、手を合わせます。

応急手当普及員の資格を持っていて、普通救命講座の講義を行うことができます。心臓マッサージや人工呼吸など、いざという時の備えに、お役に立てればと思います。

 

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2001年9月11日、アメリカで同時多発テロが発生しました。02年1月、がれきの撤去が引き続き行われ、焦げ臭さと悲しみが立ち籠めるニューっヨークの現場を訪れました。

同じ年の9月、対テロ戦争が終わったばかりのアフガンへ飛び込みました、子どもを診る医療施設でお世話になり、栄養失調や傷ついた子ども達の姿を目の当たりにしました。

2004年7月、福井ででの豪雨災害の復旧ボランティアとしてお手伝いをさせていただきました。5日ほど滞在し、夏の暑い日差しや日焼けと戦いながら、土砂を搬出しました。

初めて大きな地震は阪神・淡路大震災でした。私はまだ高校1年で、何もできませんでした。
2度目は新潟中越地震のボランティアとして小千谷市役所にいたとき、本震後最大の余震(震度5強)に遭いました。
3度目は2005年3月20日、福岡で補欠選挙に向けての活動中、福岡西方沖地震(震度6弱)に遭いました。自分には被害がなかったので、すぐに復旧活動へ加わりました。


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