「山本ただすけ」ってどんな人?
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1978(昭和53)年5月29日 大阪府泉北郡忠岡町生まれ |
2歳の秋、家族で母の実家がある和歌山市に移り、祖父母と一緒に暮らし始めました。幼稚園卒業までは近所で有名な「やんちゃさん」でした。
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和歌山大学教育学部附属小学校 卒業
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成績はお世辞には良かったとは言えませんが、学級委員や児童会の副会長をしていました。6年の修学旅行の一コマ。いつも輪の真ん中にいた気がします。
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和歌山大学教育学部附属中学校 卒業
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やっぱり学級代表や風紀委員をやっていました。この頃から環境問題に関心を持ち始めました。地球環境ジュニア国際会議で討論の場面。このために親に頼んで東京まで行かせてもらいました。 |
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近畿大学附属和歌山高等学校 卒業
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在学中は文化祭の企画運営などに携わりました。目立つ存在ではありませんでしたが、でも体育祭の組体操では一番前にいます。
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(前)衆議院議員 岩國哲人 秘書 (前)衆議院議員 岸本たけし 秘書
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岩國事務所では仕事のイロハから政策立案まで、幅広くありとあらゆることを学ばせていただき、政治に携わるものとして核となる物を与えていただきました。
岸本事務所勤務時代には、和歌山へ戻ってくるきっかけと、今日の活動への足掛かりをいただきました。
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民主党和歌山県総支部連合会 青年局長
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06年9月、民主党和歌山県連が初めて地方議員の公募を行いました。小論文や面接審査を経て、公募に「合格」しました。
民主党公認を頂き、和歌山市議会議員選挙候補予定者としては唯一ただ一人の公募合格者でした。 |
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和歌山市議会議員に当選
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07年4月に行われた和歌山市議会議員選挙において2,660票を頂戴して初当選。今議会では最年少議員です。
議会内では建設企業常任委員会副委員長を歴任。現在は総務委員会副委員長、環境保全対策特別委員会委員の職をいただいています。
07年10月からは民主党和歌山県連の副幹事長も兼任しています。
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結構信心深かったりします
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幼い頃からお墓参りにはよく行きます。祖父母と一緒に暮らしていたからでしょうか。生まれてきたことと今日の健康に感謝し、手を合わせます。
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命のバトンをつなぐ第一歩に
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応急手当普及員の資格を持っていて、普通救命講習の講義を行うことができます。心臓マッサージや人工呼吸など、いざという時の備えに、お役に立てればと思います。
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グラウンド・ゼロへ飛ぶ
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2001年9月11日、アメリカで同時多発テロが発生しました。02年1月、がれきの撤去が引き続き行われ、焦げ臭さと悲しみが立ち籠めるニューヨークの現場を訪れました。
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そして、アフガンへ
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同じ年の9月、対テロ戦争が終わったばかりのアフガンへ飛び込みました。子どもを診る医療施設でお世話になり、栄養失調や傷ついた子ども達の姿を目の当たりにしました。
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災害復興の力に
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2004年7月、福井での豪雨災害の復旧ボランティアとしてお手伝いをさせていただきました。5日ほど滞在し、夏の暑い日差しや日焼けと戦いながら、土砂を搬出しました。
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3度の大地震を体験
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初めての大きな地震は阪神・淡路大震災でした。私はまだ高校1年で、何もできませんでした。
2度目は新潟中越地震のボランティアとして小千谷市役所にいたとき、本震後最大の余震(震度5強)に遭いました。
3度目は2005年3月20日、福岡で補欠選挙に向けての活動中、福岡西方沖地震(震度6弱)に遭いました。自分には被害がなかったので、すぐに復旧活動へ加わりました。
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